昔は、服を主張として着ていた気がする。
何を好きで、どのカルチャーに影響を受けていて、どんな人間なのか。
服は、その説明だった。
でも最近、nonnativeを着ている人を見ると、少し違う感覚がある。
ファッションというより、生活に近い。

生活に馴染む服
nonnativeの服には、わかりやすい派手さがない。
ロゴも小さい。色も落ち着いている。シルエットも極端じゃない。
でも、なぜかずっと着たくなる。
たぶん、毎日をちゃんと過ごすために作られているからだ。
生活を少し豊かにする
例えば、少し大きめのシャツ。
風通しがいい。肩が楽。座ったときにストレスがない。
パンツもそう。
歩きやすい。自転車に乗れる。カフェにも行けるし、公園にも行ける。
派手な機能説明はないのに、生活との距離が近い。
最近、服好きの価値観も少し変わった気がする。
昔みたいに、毎シーズン全部買い替えたいと思うことはなくなった。
それより、「何年も着たいか」のほうが重要になっている。
積み重なり良くなっていく
nonnativeって、服を買う高揚感というより、良い日常を積み重ねる感覚に近い。
だから、年齢を重ねるほど似合っていく。
面白いのは、アウトドアブランドとも少し違うところだ。
本気すぎない。でも、街だけでもない。
山と都市のあいだ。
便利と感性のあいだ。
そのバランス感覚が、今の東京の空気にすごく合っている。
最近、服を選ぶ基準が変わった。
「また着たくなるか」。
トレンドかどうかより、「自分の生活に馴染むか」。
そう考えると、nonnativeは服というより、生活道具なのかもしれない。
長く使うマグカップとか、履き慣れたスニーカーとか、育てている革財布とか。
その延長線上にある服。
だから、ずっと支持され続けている。